2012年9月18日火曜日

目の前に海があって、その向こうに違う言葉を喋る人が住んでいる

福岡は昔からそういうところ。

日本が関わっていた戦争が終わったのは1945年8月、まだ100年も経ってない。わたしの親の世代は空襲で逃げ惑っていた世代。

戦後教育を受けてきたから、その時代の偏りはあるんだろうけど、すべての仕事や学問は再び戦争を起こさせない、無意味な死をもたらさないということに繋がるのだろうと思って、いろいろと、やってきたのです。
原爆、公害のドキュメンタリー記事に怯えた小学生時代にすり込まれたのかな。

でも、東日本大震災を巡って、とりわけ津波や原発放射能の被災者に対する政治や学者の動きを見ていると、「人が死んでも構わない」と思っているとしか思えない。「死んでも構わない」が前提ならいろんな制度も学問も無意味になってしまう。

「できることをする」という言葉も横行していて、それは当たり前なんだけど考え方としては「できないと思われてたことをする」にしないとダメでしょう。

けっこうやばい。心構えがいるってこと。

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